ショーとしてのゲーム

KPOの演奏会(オーケストラのコンサート)を見てきて考えたこと。拍手喝采で評判が良くて、それに嫉妬したので対抗策について考察。
ゲーマー・ゲームプログラマーという立場で考えて、そのような結果を得るには「ショーとしてのゲーム」が必要。

まずオーケストラのコンサートの評判について分析。これは、普段音楽を聴かない人でもある程度すごさを感じ、音楽を良く聴いている人にとっても喜べる(レベル次第ではあるが)。つまり、「その道を知らなくても面白くて、知っている人にも面白い」。これを「コンサート型」と命名。
それに対し、街角で演奏しているバンドについて。そういったものが好きな人がたくさん集まったとしても、興味がない人(自分)は精々「人が多いからすごいのかな、まあどうでもいいや」という感想しか抱かず面白みを感じない。つまり、「その道を知っている人には面白いが、知らない人にとってはそれ自体に面白さを感じることがない」。これを「ストリート型」と命名。

次にこの二つの型に応じて物事を分類。
コンサート型は、手品ショーや大道芸、ロボットの展示や野球中継など。
ストリート型は、店頭で流されているシューティングのリプレイや、乱闘騒ぎ、マイナースポーツ大会に抽象芸術など。
前者コンサート型の共通点は、人が一般的に持っているプラス感覚に訴えるということである。コンサートではクラシック音楽、手品、大道芸、ロボットは好奇心や非日常、野球は国民的スポーツであることなど。
後者は一概に括ることは出来ないが、一般的でないプラス感情や一般的なマイナス感情に訴えている。バンドやマイナースポーツ、抽象芸術は日本において一般的でない文化、シューティングはマニアックな負のイメージ、乱闘は暴力という負のイメージである。

と、これまでの議論を踏まえ「ショーとしてのゲーム」について考える。ここではシューターとしてシューティングについてのみ考える。シューティングでは大衆的な人気は得られないのではないか、という意見があるかもしれない。しかし、今でこそシューティングはマイナー分野であるが、1990年代やそれ以前には、インベーダーゲームが社会現象となったようにゲームといえばシューティングであった。よってシューティングゲームには大衆をひきつける十分な可能性を持っている。
閑話休題。ここで求めるのはコンサート型のゲームである。そのために必要な要素は以下。

  • 好奇心や、本能的にわかる美しさを示す
  • マニアックなイメージ、暴力的なイメージを可能な限り排除する
  • 過去の普及実績を示す

3番目が未出の内容であるが、これは好奇心の弱まった大人世代に対し、懐かしさという別の面でのプラスイメージで好奇心を補完するためである。また、これにはマニアックなイメージを弱めるという効果もある。
ではこの3つの要素を総合して、具体的なゲームの形を考える。
暴力的イメージを排し、「レトロさ」を表現するためには「宇宙人の侵略」というような絶対悪の敵を設け、かつ具体的過ぎるイメージは避けるのが良い。絶対悪の存在というのは「深みがない」という面も存在するが、シューティングの売りは爽快感でありストーリーの深みを要求するものではない。深い設定があることでその世界に入るのが難しくなり、その結果マニアックなイメージも発生する。具体的なイメージ、例えば倒す敵が人型であったりするとそれに対する感情移入が生まれ、その結果的を倒すという行為にマイナスの感覚が付随しかねない。これでは純粋なショーとして楽しめなくなる。
本能的な美しさというのは単純なことであるが美しく派手なエフェクト(効果音含め)と美しい音楽である。ぱっと見ただけで美しかったり音楽がよければそれは入り口となる。
好奇心を呼ぶには隠し要素である。例とすればゼビウスにある多くの隠し要素である。
まとめると、「絶対悪の敵を倒すというわかりやすい設定のメカもので、綺麗なエフェクト、音楽を持ち、隠し要素盛りだくさんのシューティングゲーム」である。

さて1700文字も要したこの議論、結局何が言いたかったのであろうか。嫉妬が生み出した妄想の産物である。